僕が死ぬまでに書き残しておきたいこと

諸行無常、日々ふと思ったこと、後世に残しておきたいことを不定期に綴ります。

固定観念を捨てる

規則正しい生活は素晴らしい。

 

しかし、全てを自然のままに任せて過ごす生活のほうが、人間本来の生き方なのかもしれない。

 

ここ数ヶ月、規則正しい生活を捨て、本能で生きてみようと思い、実際にやってみた。お腹が空いたら食べ、風呂に入りたくなったら入り、眠たくなったら寝る。

 

当然仕事もあるわけだが、今は店をやっているわけではないので、始業時間はない。仕事をしたくなったらする。仕事が入ったら引き受ける。お客さんに呼ばれたら行く。こちらから仕事を追わず、計画も立てず、ただ自然に任せるようにしてみた。面白いことに絶妙なタイミングで仕事が入ってくる。

 

会社員時代にさんざん叩き込まれたのは、始業時間を守り、終業時間には仕事を終わらせ、明日に備えること。残業は管理された下で適正に行うこと。毎日必ずほうれんそう(報告、連絡、相談)をせよ!とか、PDCA(計画、実施、評価、改善)のサイクルを回せ!とか、段取りをしっかりやることなど、たくさんの素晴らしい考え方や習慣を教わった。

 

でも今は180度違う視点で仕事をしている。

 

どちらが正しいとか、間違ってるとか、そういうことではないが、どちらでも良いと思っている。もちろん世の中は規則正しくしなければならない仕事のほうが圧倒的に多いので、なかなかそんなに自由にはできない。ただ、決められた仕事の枠の中にいても、固定観念にとらわれず、偏らないバランス感覚を持っていれば、今やっている仕事の幅も広がっていくのではないかと感じている。


日本人は特に生真面目で「〜しなければならない」とか、「〜すべきだ」ということをきちんと守ろうとする。世界に類をみない統率の取れた遵守行動をとる民族だ。そんな日本人を僕は誇りに思う。

 

しかし、その反面、物凄く強い固定観念に縛られて生きている民族だと感じることがとても多い。それが「日本の常識は世界の非常識」とまで言われる所以だ。

 

「なに寝言いってんだ、現実を見てみろよ」というご指摘もあるが、現実というものは皆それぞれ見ている者の数だけ違うことに気付いていないのだ。指摘をしている人の見ている現実と指摘をされている人の見ている現実は違う。これは脳科学的にも立証されていることだが、二人の人間が同じ場所で同じ物を見ていても、認識しているのは各々二つの脳が別々に認識しているので、完全に一致していることはない。

 

つまり、自分が今見ているものは、自分が作り出した現実でしかないのだ。自分が作り出した現実を他人は見ることはできない。

 

それを理解するだけで、見えてくる世界が変わってくる。何かに囚われている感覚がなくなる=固定観念がなくなっていく。自由でいられるのだ。

 

では具体的にどうすればいいのか。

 

始業時間が厳しく決められている人にとってはまるで不可能なように思われるかもしれないが、そうではない。自分の中で「規則が厳しい、時間厳守させられている、遅刻したら叱られる・・・」と思っているから、その現実が起きる。だからその逆を思えばいい。「規則は厳しくなんてない、時間は守らされているのではなく、こっちが適切な時間に行ってるだけだ。遅刻なんてあるわけがない!」と思えばいい。

 

そうすると不思議なことが起こる。なぜか朝、だんだんと早起きになり、家を出る時間が早くなる。余裕ができる。通勤道の道端に咲く花や川のせせらぎが心地よく入ってくる。気持ちの良い時間の先に、ただ仕事があるだけという状態になる。

 

まるで自然のままに任せているかのように仕事に入ることができる。固定観念がなくなった瞬間である。

 

これは僕の実体験で感じたことである。