僕が死ぬまでに書き残しておきたいこと

諸行無常、日々ふと思ったこと、後世に残しておきたいことを不定期に綴ります。

右も左も・・・

SNSは所謂フォローし合った友達の投稿が流れてきて、それを読んで、いいね〜と思うことには「いいね」というボタンを押す。今では世界的にも共通するSNSツール&ルールでもある。


そんなSNSで最近思うことは、友達の中の右寄りな人と左寄りな人の意見、特に極端な右意見や極端な左意見が出てきた時に「いいね」が押せなくなる時がある。


それは何故かというと、極端過ぎて、これってどうなのかなぁ?と思うからである。もちろん極端過ぎていても「なるほど〜そういう考え方もあるんだぁ!」と思うことも少なくない。むしろそう感じることのほうが多い。


ただ、それは「いいね」ではないのである。そう「読んだよ」ボタンや「参考になったよ」ボタンがあれば迷わず押すのだが(笑)


まあ、いいねを押してコメント欄に意見を書いてもいいのだが、得てしてこういう場面では議論になりやすいので控えている。


さて、では何が言いたいのかというと、SNSツールがどうこうではなく、右と左が水と油であることを理解した上で、まずはお互いの心の奥に耳を傾ける姿勢、つまり傾聴することが大切ではないかと言いたいのである。


それにはまず自分が相手の側に身を移して、つまり自分の思考を一旦静かに横に置いた状態で、最後まで相手の意見を、あたかも自分が発しているかの如く聴いてみること。


お互い聴く耳も持たず、反発し合っていてばかりでは良い結果は生まれない。それどころか、それが争いに発展してゆく原形的な要素の一つなのだ。人と人、地域と地域、国と国、どれも同じ要素から争いが生まれている。


ほとんどの場合、両者はどちらも自分が正しいと思い込んでいる。そもそも世の中には正しいというものなんてない。それは何故かというと、この世の全ての事象は見る人の心が勝手に決めていることだからである。


右も左も、よくよく聴けば「なるほど!」と思うところがたくさんある。聴く耳を持たないのは実にもったいないことだ。特に日本人は道徳の中で「人の話は最後まできちんと聴きましょう」と教えられてきたと思う。


新聞やテレビから流れることだけに踊らされることなく、浅はかな知識や偏見に惑わされることなく、無駄に罵倒し合うこともなく、冷静に穏やかに、道徳に立ち返って、日本人らしく品高く、傾聴し合っていけたら、きっと斬新で平和的な解決の道が開かれると思う今日この頃である。