僕が死ぬまでに書き残しておきたいこと

諸行無常、日々ふと思ったこと、後世に残しておきたいことを不定期に綴ります。

戦争を知らない世代に生まれて

僕は戦争を知らない世代として日本に生まれてきた。

 

小学校の社会科の時間、祖父母などへ戦争の話を聞いてくるという宿題を持ち寄り、それを班毎に模造紙にまとめて発表するという授業があった。

 

模造紙は戦前、戦中、戦後と年代毎にまとめられ、ちょっとした年表ように教室の壁いっぱいに貼られた。それが僕が初めて戦争を知った日。衝撃だった。もう40年も前のことだけど、今でもよく覚えている。

 

やがて少しずつ、本を通じたり、旅を通じたりしながら、学校では教わることのなかった戦争の真実を知ることになっていく。最初は断片的だったことも次第に面となり、それが幾層にも重なり合ってきた。


新聞やテレビの情報に振り回され、気持ちが右傾化してみたり、左傾化してみたり、常に揺れ動いてきた。神仏道を知り、最近ようやくその揺れが静かになってきた。


僕の政治的記憶は、田中内閣の中国国交正常化から始まり、沖縄返還があり、グアムから横井軍曹、フィリピンから小野田少尉が帰国し、ランボーという映画からベトナム戦争を知り、広島カープの応援で原爆記念館に通うようになり、平成に入って湾岸戦争、9.11、イラク戦争・・・そして、日本人も犠牲になった中東紛争。


「戦争は二度と起こしてはいけません。」学校の先生が教えてくれたこと、それがおそらく戦争洗脳として植え付けられた、きっと正しいとされる思想。


一方、そんなことは知るものかとばかりに、世界の戦争や紛争はなくならない。むしろお互いがそれぞれに正義を掲げ、戦争を正当化し、徹底的に報復すると宣言をしている。もはやISに対する有志連合の空爆も2000回に迫るとか・・・規模は違うが東京が受けた空襲でも100回程度。もう想像もつかない。


僕が今あの頃の小学生だったら、先生に聞いていただろう。「先生、なんでみんな戦争やめないんですか?」


いったい人間は、何万人、何十万人殺し合えば、そして、いつまで殺し合えば気が済むのだろう。