右も左も
ここ数年の傾向として感じているのが、国民の考え方が右寄りと左寄りに大きく分かれつつあるということである。
しかも、今は広く自由に意見を発信できるネット環境が整っているため、老若男女あらゆる立場の人が自分の考えを発信している。
それも一昔前、新聞の読書投稿欄や、青年の主張的な講演の場ぐらいしか一般市民の意見を聞くことがなかったことを考えると、素晴らしき文明の発展とも取れる。
しかし、なんだろう、SNSの特質なのか、なんとも言えない違和感を覚えることが一つ。
誰かが発した意見に対して、そこに集まるコメントはほぼ同意の意見に偏っているということである。
そう、右寄りの投稿には右寄りのコメントが集まり、左寄りの投稿には左寄りのコメントが集まる。そして、それが別々に盛り上がっている。
叩かれる、とか、炎上する、とか、そういう現象が簡単に起きてしまうことに躊躇し、反対意見をコメントする人が少ないのだろうとも思う。
実際に反対意見をコメントした人が、その中でボコボコにされている様子を見ることもある。
最近では、ネットだけでなく、リアルなテレビ番組「朝まで生テレビ」での与党議員全員出演辞退という現象まで起きている。
番組の空気自体が司会者を含め与党反対の流れだったことが、一つの原因となったであろうことは誰の目にも明らかだ。
大きく右と左に分かれつつある世論が、なんとなく、交わる橋さえなくなってきているのかな、と思うと虚しくなってくる。
僕の場合、おまえはどっちなんだ!って聞かれたら、どっちでもねーよバカヤロー!と言うだろう。
元々この世には、正義なんて存在しないし、何が正しくて、何が間違いかなんて、未完成な人間ごときにわかるわけがない。
どちらも互いの意見を謙虚に受け止め、先に相手を理解をさせようと思うのではなく、まずは相手を理解してあげようと思うことから始まるのだと思う。
綺麗事かもしれないが、今の状況を見ていると、唯一、右と左に偏った見方を近付ける方法はそれしかない。
明らかなことは一つ、極端な右寄りか、もしくは極端な左寄りで突っ走った時、間違いなくその国は滅びている。
日本が世界で最も長く続いてきた国であること、また、強かった他国や文明が何度も何度も滅びてきたこと、まさにそれは歴史が証明している。我々のヒントは全てそこにあると思う。