僕が死ぬまでに書き残しておきたいこと

諸行無常、日々ふと思ったこと、後世に残しておきたいことを不定期に綴ります。

役に立つ知恵、役に立たない知識

人間の体に半世紀も宿っていると、人間が生きるために、何が役に立つもので、何が役に立たないものかが見えてくる。

 
例えば、経験と知識。
 
学生時代、勉強をサボった「経験」は、今でも役に立っているが、教科書で覚えた「知識」は、ほとんど役に立っていない。
 
サラリーマン時代、飲んで喧嘩して涙した「経験」は、役に立っているが、研修や会議での「知識」は、全く役に立っていない。
 
会社経営時代、銀行や取引先、お客様に頭を下げ続けた「経験」は、役に立っているが、成功法則本などの「知識」は、ぜんっ!ぜん役に立っていない。
 
人間という高等動物は、自分で自分のことを「高等」動物と呼ぶおかしな動物だ。動物に高等も下等もない。
 
動物には本来備わっている本能があり、そこに「経験」が重なり、やがて「知恵」となる。生物学的には下等動物に知恵はないとされているが、生きてること自体が知恵なのではないか。
 
仏教は知恵(智慧)の宗教である・・・と誰かが言っていた。宗派やしきたりは大して意味を持たない。どうでもいい知識よりも、仏教の知恵は大いに役に立つ。
 
知恵がなければ、人間も動物も生きられない。仏教の教えの根底には、生命の源となる知恵が隠されている。最近僕はそんなことを感じている。