僕が死ぬまでに書き残しておきたいこと

諸行無常、日々ふと思ったこと、後世に残しておきたいことを不定期に綴ります。

人はどこまで人を赦せるのか

赦す・・・という言葉がある

昭和天皇崩御された時に「恩赦」が実行されたことを記憶している人も少なくないと思う。

 

26年前、まだ血の気が多かった僕には、犯罪者を赦すという制度がなかなか理解出来なかったことを覚えている。

 

あれから様々な経験を重ね、人生とは縁の積み重ねそのものであるということを知った。

 

その「縁」という切り口から「赦す」を考えてみた。

縁には、良い縁、悪い縁があるが、縁は複雑に絡み合い常に変化している。だから縁の良し悪しは一概に分けることは出来ない。

 

そんな縁の中で人間は日々行動をしている。

それはあたかも自分の意思で動いているようにみえるが、実は縁に影響されながら動いているのである。つまり、善行も悪行も全ては縁によって引き起こされているのだ。

 

そして、人間には煩悩がある。

様々な縁によって八十八の煩悩が刺激を受けながら人間は生きている。

 

人間には、生まれ持った悪人はいない。

オギャーと生まれた赤ん坊は窃盗や殺人を犯さない。

 

悪行とは、人生の中で様々な縁が重なり、人間という弱い生き物の持つ理性の堰を超えてしまった時に発生しているのではないだろうか。

 

元々この世に悪人はいないという原点から考えると、犯罪者を作ってしまった社会、その社会を作ったのは紛れもなく私たち人間だ。だから犯罪を犯してしまった人を未然に救うことが出来なかった私たちにも責任はある。どうして犯罪者だけを責めることができようか。。

 

しかし、もし誰かに自分の家族の命を奪われたら、僕はその犯罪者を赦せるだろうか・・・、正直、今はその自信がない。

 

それでも、自分自身、忍辱できることは堪え、小さなことからでも、人を赦せる人間になれるよう、心静かに精進していこうと思っている。