僕が死ぬまでに書き残しておきたいこと

諸行無常、日々ふと思ったこと、後世に残しておきたいことを不定期に綴ります。

キリスト教徒の義勇兵

ロイターの記事を読んだ。

IS戦線に立つキリスト教徒の若き義勇兵の話が美談として語られていた。過激派組織が悪、欧米諸国が正義という視点で書かれた記事だ。

 

僕は少し違和感を感じた。 

IS軍と戦う兵士は、残虐な行為を繰り返すIS軍の兵士と同じ、どちらも相手を殺傷する兵士であることに変わりない。それを美談化してしまうことに、どうしても抵抗を感じずにはいられないである。

 

アメリカ議会において、地上戦の行方が議論されているが、かつてのブッシュ政権のように、強引に推し進めることができないオバマ政権に業を煮やし、若きイエスの迷い血が、悲しき義勇兵という形になったとも言えるであろう。

 

ただただ、平時よりも早く失う可能性を持った命が、一つ、また一つと増えていくのである。

 

思い返せば、神風特攻隊の若き日本兵もしかりだ。鹿児島県の知覧特攻記念館や特攻の母と呼ばれた富屋食堂の記念館に行ったときは、彼らの自筆の手紙に涙が止まらなかった。

 

しかし、冷静に考えれば、当時の彼らの行為は零戦を使った「自爆テロ」なのである。

 

ある日、米軍の戦いを舞台にした実録のアメリカ映画を観た。

若き米兵が、大日本帝国の日本兵に立ち向かう姿だった。身体も大きく気も強そうに見える彼らが、明日の死に怯えながら戦う姿だった。本土で待つ両親や恋人に最後になるかもしれない手紙をしたためる姿は、日本の特攻隊員の姿と重なった。

 

あのイラク戦争でさえ、米兵4,000人以上、イラク兵10,000人以上が戦死している。この14,000人の命を一番嘆き悲しんだのは、多くの家族や友人、恋人たちである。

 

IS軍の行為は卑劣極まりない残虐なものである。しかし、それを止められるのは、果たして本当に武力しかないのか。彼らがジハードを聖戦として掲げたことには必ず理由があり、原因があったはずだ。

 

それを「心のジハード」として、IS軍、イラク軍、シリア軍、ヨルダン軍、米軍、そして、若き義勇兵たちからの犠牲者を一人でも減らし、彼らの未来のため、愛する人達のために、この聖戦を和らげる手立てはないものか・・・。

 

ロイターの記事を読んで、何も出来ない男がここに一人、今日も胸を痛めている・・・。