僕が死ぬまでに書き残しておきたいこと

諸行無常、日々ふと思ったこと、後世に残しておきたいことを不定期に綴ります。

がんばらず、最善を尽くそう

ぼくらは今までずいぶんとがんばってきたようだ・・・

ここらでそろそろがんばるのをやめようじゃないか・・・

 

 

僕は数年前まで普通の会社で普通の会社員として働いていた。

その頃は当たり前のように、みんな成績を上げよう、役職を上げよう、給料を上げよう、ボーナスをたくさんもらおうとして、がんばってきた。

 

やがて僕は会社を離れ、自分で商売を始めた。

おかげで、会社員時代を遥かに上回るペースで、毎日をめまぐるしく、目の前に現れてくる、ありとあらゆる現象を、ただただ懸命にこなしてきた。

 

子供の頃、運動会で「がんばってー!」と言われると、無理して一生懸命走った。それでも一番になれるのは一人。時には無理をしすぎて怪我をする子もいた。

 

進学の頃になっても、「がんばってー!」と言われて、一生懸命受験勉強に励んだ。(僕は殆ど勉強をしなかったが・笑) それでも希望通りの道へ進学できるとは限らず、まわりの期待に応えられなかったことが重荷になって「がんばれなかった・・・」と落ち込む子も多かった。

 

そうやって大人になった世代は「がんばること」は「無理をすること」が当たり前に感じるようになり、仕事で無理をして心身に影響を及ぼしたりする人が増えてきた。

 

当時、僕がいた会社では、順調に出世していった人が、ある日突然、心の病などを理由に長期で休んだり、そういうこともいくつか目にして思った。「がんばりすぎなんだよ」と。

 

英語で「がんばれ!」を「Do your best!」=「最善を尽くしてね!」と言う。特にアメリカ人などを見ていると、いつも肩の力を抜いて「がんばって」いる。元々移民の多い国という風土もあるが、ひとりひとりの能力や個性が違うことを認め合っていて、お互いの持っているもので「最善を尽くせばよい」ということなのだろう。

 

ロスの子会社で技術指導にあたっていた頃、そういうのびのびとした空気感に新鮮さを覚え、羨ましく思った記憶がある。

 

仏教でも「無理はするな」と教えている。

 

お釈迦様は太子と生まれ、何不自由なく暮らしていたが、ある日、これではいけないと、悟りを開くべく苦行を始めた。苦行に積む苦行の中、ある日、ここに悟りの道はないと「悟った」という。そして弟子達にも苦行をやめさせ、肩肘張らない生き方を説き、人々に安らぎを導く教えを伝えていった。

 

今でも苦行は残っているが、それは精神修行のためであり、そこに本来の安らぎや具体的解決策があるわけではなく、あくまでも修行した本人の心次第なのだ。それぞれに修行を達成した満足感で晴れやかな気持ちで「がんばらず=最善を尽くせばいい」。ただそれだけのことなのだと思う。

 

さあ、今日も「最善を尽くして」まいりましょうか。