僕が死ぬまでに書き残しておきたいこと

諸行無常、日々ふと思ったこと、後世に残しておきたいことを不定期に綴ります。

因果に応報はあるのか

因果応報という言葉がある。

 
良い行ないをすれば、良い結果が生まれ、
 悪い行ないをすれば、悪い結果が生まれる。
 
なるほど、これは誰が聞いてもわかりやすい・・・と昔は疑わなかったが、永く生きていると、次第に「これって本当なのか?」という出来事に出くわしてくる。
 
すごくいい人なのに、いつもいつも苦労している人がいる。僕が見る限り、その人は間違いなく良い行ないをする。・・・なのに、いつも面倒な出来事に巻き込まれていたりする。
 
逆に、あいつワルだなぁ〜と思う人が、意外とひょうひょうと生きていたり・・・「これって本当なのか?」という虚しささえも感じる時がある。
 
そんな現実をずっと見続けながら、心のどこかで疑問を感じていたある日、僕はあることに気付いた。
 
良い行ないをすれば、良い結果が生まれる・・・というのは、単に人間の勝手な要望なだけで、そこに明らかな応報はない・・・ということである。
 
つまり、応報は人間が勝手に作り出した、単なる要望なのだ。
 
応報は全て人間の心の中にある。
 
本人が今を幸せだと思えば幸せだし、不幸と思えば不幸である。他人がとやかく言うことでもなければ、当人が誰かと比べて計るものでもない。
 
皆、一人残らず、天から借りたこの身に尊敬の意を表し、心から感謝すれば、誰もがおのずと今を幸せと感じるのではないだろうか。
 
因果応報に拘ると、進むものも進まなくなってしまう・・・そんなことを思いながら、今日も一日が過ぎていった。