八万八千の法門
「あの人の意見は間違っている」・・・時折耳にする言葉だ。
その時、僕は「この言葉を発している人」から見た「あの人」と、僕が直接見た「あの人」を想像する。するとそこには「同意」が生じたり、多かれ少なかれ「違い」が生じたりする。もっと進むと「あの人」から見た「この言葉を発している人」も想像してみたりすると、もう何が正しいのか、何が間違っているのかわからなくなる。
仏教の世界では、釈迦の教えは「正しい」とされている。
しかし、その法門は八万八千にも及び、もはや世のこと、人のこと、全てが「正しい」と説かれているに等しい。裏を返せば「世の中に間違っているということなど一つもない」と説いているのだ。
ここで釈迦が一番言いたかったことは・・・
誰かと意見が違っても、それを罵ったり攻撃したり、まして仲間外れにすることなどなく、人の ”意と心” を重んじ、互いに尊重せよ・・・と。
読みきれないほどの法門を作ったのは・・・、もしかしたら、それは最初から読ませるつもりはなく、釈迦の目の前で起こった全ての事を「皆の良き事」として念じていたのかもしれない。
これは単なる、僕の想像である。